生誕100周年を迎える乙羽信子主演の『愛妻物語』の上映会をしてみませんか。

今年2024年は、日本の大女優乙羽信子(おとわのぶこ)の生誕100周年となります。宝塚のスターから映画界に転身。大映では「百万弗のえくぼ」と謳われ、清純派として活躍、その後のちの夫となる新藤兼人率いる独立プロ「近代映画協会」へと移籍し、娯楽映画畑とは全く異なるリアリズム志向の演技派女優へと大きく転身、押しも押されぬ日本を代表する演技派女優になりました。80年代に大ヒットしたNHK連続テレビ小説『おしん』での主役でも記憶されている方も多いかと思います。今年は、生誕100年でもあり没後30年にもあたります。再び乙羽信子に光があたることを期待したいと思います。

乙羽信子は、大正13年10月1日生まれ。小学生から日本舞踊を習いはじめ、天然パーマに丸顔の大きな目という容姿から近所では和製テンプルちゃん(シャーリー・テンプル)と評判であったといいます。神戸住まいで養父が宝塚ファンであったこともあり、公演につれてもらううちに宝塚ファンとなり、最終的に宝塚に入学しました。同期生は、越路吹雪、月丘夢路、東郷晴子という大スターたちです。戦後になり、雪組のマドンナ、トップスターとして大活躍となりましたが、1950年に月組のマドンナとしてライバル的な存在であった淡島千景が映画界へと転身することに触発され、自身も宝塚を退社、大映へ入社することになります。

大映は、乙羽信子を、官能的な京マチ子とは反対の純情路線で売り出していくことにしました。デビュー作の上原謙との共演に始まり、その後、長谷川一夫、田中絹代などの大スターと共演が続いたものの、ライバル的存在であった淡島千景の活躍と比較すると、いまひとつ大きな評判を呼ぶまでには至りませんでした。転機を迎えるのは、1952年に『愛妻物語』に出演したことでした。『愛妻物語』は、のちの夫となる脚本家新藤兼人の映画監督デビュー作で、戦時中に結核で亡くなった新藤兼人の最初の妻との短い生活を綴ったものですが、映画は深い感動を呼ぶことになり、乙羽信子の演技にも多くの称賛が集まりました。この作品をもって、乙羽信子はようやく評価される女優の仲間入りとなったわけです。

その後、新藤兼人は、商業的な映画作りから決別し自発的な作家の要求のもとに映画をつくることを目指した独立系会社の近代映画協会を立ち上げます。乙羽信子も周囲の猛反対をよそに新藤兼人に歩調を合わせ大映を退社、近代映画協会へと合流し、近代映画協会第一作目の『原爆の子』に出演しました。映画は、原爆で家族のすべてを失った女教師が、7年後、かつて勤めていた広島の幼稚園の教え子を訪ね、原爆症で苦しむ悲惨な教え子たちの姿を目の辺りにするという内容です。GHQの占領時代には描けなかった原爆の被害を描いた映画として異例の大ヒットとなりました。海外でも英国アカデミー賞平和賞を受賞するなど高い評価を得ることになりました。その後も近代映画協会の新藤兼人脚本・監督の『縮図』(1953年)や新藤兼人脚本・吉村公三郎監督の『慾望』(1953年)に出演、その年のブルーリボン賞にも輝きます。1960年には同じく新藤兼人監督の、セリフが殆どないという実験的な意欲作『裸の島』に出演。映画はモスクワ映画祭グランプリを受賞、世界64国にも売れることとなり、作品としても興行としても大成功を収めました。その後1971年にも新藤兼人のもと、『裸の十九才』で母親役を演じ、作品は再びモスクワ映画祭グランプリを受賞するに至ります。

新藤兼人の名作には常に乙羽信子の姿があり、このふたりは、日本映画史に大きな足跡を残しました。何度も噂に上っていた乙羽信子と新藤兼人の関係ですが、1972年新藤兼人が妻と離婚、その5年後その前妻が他界したこともあり、1979年ふたりは、遂に結婚に至りました。乙羽信子54歳のときです。しかしふたりは結婚式も挙げずそのまま別居の生活を突き通していたということです。1970年代後半からは映画のみならず多数のテレビドラマにも出演。1989年には紫綬褒章を受賞しました。1993年がんが発覚。がんをおして撮影に挑んだ最後の映画も新藤兼人作品となりました。新藤兼人にとってこの映画は乙羽信子への最後のプレゼントだったのかもしれない。作品は第38回ブルーリボン賞および第19回日本アカデミー賞最優秀作品賞を見事に受賞した。

新藤兼人の監督作品全45本中、乙羽信子の出演作は実に43本にものぼります。1993年死去。享年70歳。大映のスターの座をすて、経済的に不安定な独立プロで芸術的な映画制作に人生を賭けた大女優の死でした。

Bunkidoでは、大女優乙羽信子の出世作でもあり、夫の新藤兼人とっても監督デビュー作になる名作『愛妻物語』を用意しております。この機会に上映会を検討してみてはいかがでしょうか。

映画史に残る監督新藤兼人女優乙羽信子の黄金コンビの記念すべき第一作目。

『愛妻物語』 大映 1951年9月7日上映
監督:新藤兼人
脚本:新藤兼人
撮影:竹村康和
キャスト:乙羽信子、宇野重吉、大河内傳次郎、菅井一郎、滝沢修、殿山泰司